街から探す - 首都圏エリア 千代田区 大手町周辺 -

2012/11/02

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千代田区大手町は、JR東京駅の北側、皇居東御苑大手門前に位置する。皇居の豊かな緑と内堀の涼やかな流れを背景に、日本を代表する企業が本拠点を置く国際都市東京のコアエリア。

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賃料相場

オフィス物件総数45棟 (千代田区 大手町・丸の内・有楽町エリア)

規模(基準階) 募集物件棟数 平均推定成約賃料(坪単価)
300坪以上 36棟 35,916円
100〜300坪未満 4棟 22,857円
20〜100坪未満 5棟 22,075円

※当社調べ 2012年9月時点で竣工済のオフィスビル
※一部募集条件非公開の物件を除く

連鎖型都市再生で蘇るグレード感日本経済を先導するビジネスエリア

日本の金融・情報等の中枢を担う主要拠点でもある。総面積は、一丁目、二丁目合わせると約47.7ha。東京ディズニーランドの約5分の4に当たる。エリア内は、内堀通り、日比谷通り、都道402号など3つの大通りが南北に並行して走る。エリアの一番北側には、首都高速環状線の神田橋JCT(ジャンクション)・出入口があり、そこから日比谷通りへと繋がる。神田から伸びる本郷通りが、神田橋出入口を過ぎると日比谷通りと名前を変え、大手町のメインストリートの一つとなる。
地下には、東京メトロ丸ノ内線、東西線、千代田線、半蔵門線、そして都営地下鉄三田線など5つの路線が乗り入れエリア内を格子状に網羅して、エリアのどこからでもアクセスを容易にしている。

大手町の歴史は、約150年前、日本が江戸から明治へと文明開化を遂げた時代に遡る。かつて大名屋敷のあった広大な跡地に、明治政府はオフィスビルを建設。内務省、大蔵省などの官庁施設を置いた。隣の丸ノ内が民間の活力を軸とした開発が進んだことに対し、大手町は、官庁街としての開発が進んだ。明治・大正・昭和と時代を経る中で、日本の行政・文化の中心としてのイメージが定着した。1952年(昭和27年)、日本が高度経済成長を遂げようとする時、新たな都市計画が始動し、官庁施設が霞ヶ関へと広がった。
その時、一丁目の合同庁舎内に、同地区内にあった各省庁の地方出先機関が集約され、広い国有の遊閑地が出現した。政府はこの土地を、官庁施設整備の財源とするため民間へ払い下げ、そこに日本開発銀行、日本長期信用銀行の本社ビル、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞などの本社ビル、経団連会館、JA(農協)ビルなどが次々と建設され、金融・情報等の大手企業が集積する国際ビジネス都市としての躍進が始まった。

しかし時代を経て平成に入ると、それらのビルが一斉に老朽化が目立つようになった。そのため建替えが検討されることになったが、大手町のオフィスビルは、殆どが敷地面積の6割以上を建物が占めており面積的な余裕がなかった。また、そこに入居している企業の殆どが24時間稼働型の業務を行っているため、業務の継続性を考えると、離れた場所に建替えのための仮移転を行うことも難しかった。
ビルの建替えが難航し、大手町は次第にオフィスビルの環境対策やグローバル化に向けた対応の遅れが目立つようになった。しかし、2000年(平成12年)、一丁目にあった大手町合同庁舎第一、第二号館が、さいたま新副都心へと移転したことで広大な跡地が生まれた。そこで、その跡地を利用する「連鎖型都市再生」という新しい再開発手法がクローズアップされた。これは、企業が事業活動を中断、停滞することなく、全体を段階的・連続的に更新しながら開発するという、日本で初めて試みられる革新的な手法だ。

また、オフィスビルの建替えと同時に、景観に配慮したオフィスビル配置、快適な歩行者専用道路の整備、環境に貢献する緑のネットワーク、都市インフラなどを一体的に整備し日本経済を先導するビジネスエリアにふさわしい就業環境や憩いの場、新しい人の流れなど、多様で個性的な都市活動の場をつくっていくことが検討され、大規模な都市基盤の再構築計画が推進されることとなった。開発規模は約13ha。
まず、第一次再開発事業で合同庁舎第一、第二号館跡地を種地として新たな建物を建設し、そこに地区内の企業が移転。さらにその移転した跡地を次の建替え用地として、第二次、第三次と連続的に街区更新を進めていく計画だ。事業は2007年(平成19年)に着工、2009年には、第一次再開発事業が完成し、一丁目合同庁舎第一、第二号館跡地に、低層部を大手町カンファレンスセンターで共有する超高層の日経ビル、JAビル、経団連会館が竣工した。そこから、第二次再開発事業へと進み、現在は、かつての日経ビル、JAビル、経団連会館のあった場所に「第2地区市街地再開発事業」が進行している。A棟、B棟の2つの超高層オフィスビル建設が2012年竣工予定で工事に入っている。

また、新たな環境都市計画の試みとして「都市を再生しながら自然も再生する」という開発コンセプトのもと、東京建物株式会社と大成建設株式会社が恊働して進めているのが「(仮称)大手町1-6計画」だ。このプロジェクトは、別の敷地で、地形や人工地盤、土壌などの条件を計画地同様に施工した上で、樹木を仮植えし、育成・管理された樹木をそのまま計画地に植えるという「プレフォレスト」と名付けた取り組みを推進している。永代通り沿いの一丁目6番地が計画地だ。「みずほ銀行大手町本部ビル」と「大手町フィナンシャルセンター」を解体した跡地に、地上38階の超高層ビルとその敷地に約3600屬遼槓の森を創出する。まだその姿が残る大手町フィナンシャルセンターは、来年7月までに解体される予定だ。プロジェクト全体の見通しは2014年完成という。生物多様性にも寄与する環境共生型街づくりの先駆的取り組みとして、いま大きな期待と注目を集めている。
さらに、永代通りと内堀通りが交わる大手門のすぐ前では、株式会社パレスホテルの複合施設建設工事が佳境に入った。2012年1月のオフィス棟の竣工に向け、外観のアウトラインがようやく整ってきた。総延べ床面積140,000屐42,300坪)。オフィス棟は約6,800屐20,600坪)を占める。ホテル棟は2012年春のオープンとなる。抜群の交通アクセスと、豊かな緑に恵まれた立地環境に加え、太陽光発電システム、エアフローウィンドウ導入などの省エネ対策、環境負荷低減を施した最新設備を完備したオフィスフロアがお目見えする。基準階面積約2,900屐870坪)、天井高2,900mmという開放感溢れる空間だ。

さらに床配線150mm のOAフロアや最新セキュリティシステムなど、快適なオフィスワークを実現する機能満載だ。隣のホテルは、ゆったりとした空間で最上級のサービスを提供するという。世界を視野にビジネスを展開する企業に相応しい魅力溢れる空間が新たに創出されることになり、早くも熱い注目を集めている。
このような再開発とは別に大手町には、大手町ビルや新大手町ビルを始めとする魅力的なオフィスビルがたくさん存在する。その中には人気の超高層オフィスビルも含まれる。中でもJR東京駅から徒歩5分ほどの距離にある「大手町野村ビル」は、1937年(昭和7年)の竣工という伝統あるビルだ。当時の日清生命保険本社として竣工し、1994年(平成6年)に下層階の外壁だけを残して高層化された。現在もエントランス付近は竣工当時の面影を残している。1997年(平成9年)には東京都選定歴史的建造物に認定されている。
また、同じ永代通り沿いには、エリアのランドマークになっている1998年竣工の「大手町ファーストスクエア」が壮麗な姿をみせている。大手町の中心に位置し、地上23階、地下5階のウエスト棟と地上23階、地下4階のイースト棟とを持つツインタワーのオフィスビル。大手町らしいゴージャスな外観と最新設備に人気が高く、NTT都市開発を始め、東京海上日動火災、東日本電信電話局などが入居している。
今このエリアは、丸ノ内、有楽町と連動しながら官民が協働した新たな街づくりを推進し、グローバル都市東京の中心にふさわい風格を取り戻した。質の高いオフィスビル群と、国際的な商業・文化・交流・情報機能をあわせもつ豊かで柔軟な空気に満たされ、オルタナティブで洗練されたビジネス空間が展開されようとしている。

「京橋川」から始まったオフィス街の歴史

大手町旧経団連会館は、経団連の創立20周年に当たる66年10月末に竣工した。地下5階、地上18階、延床面積43,500屬箸いΦ模は、当時としては、例を見ない高層建築だった。また、前面に池と噴水、敷地内で自動車を回せる設計など、後のオフィスビル建築にも応用されるほどの斬新さを誇った。
当時のマスコミから「建設業界の総力が結集された」「財界の殿堂にふさわしい」などと評され、威容を誇る建物の話題が集中した。構造的にも「耐震診断が必要ないほど、保有体力にゆとりを持たせた」安全設計がなされたという。外装のトレードマークとなったアーチ状の庇をもつファッサード「アルミキャスト・カーテンウォール」は、当時最先端の技術を導入したものだった。経団連会館は会員(大企業中心に1400の企業、団体)向けの施設として、まさに「時代を画した」建物だった。1996年度BELCA賞(建築・設備維持保全推進協会賞)のLLB(ロング・ライフ・ビルディング)部門賞を受賞。

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